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少し昔の話になります、若いけれど所属する大学の教授でもあり教会の修道士でもあった彼が、ヴィッテンブルクの城壁にラテン語で「討論会の案内と議題の告知文」を張り出しました。1517年10月31日のことだと伝えられています。 その男の名前ははマルチン・ルター、聖アウグスチノ修道会に所属する神学者であり聖職者です。場所はドイツ東部のザクセンのヴィッテンブルク。彼が掲げた議題は95項目であったことから後に「95条の論題」とか「95条の提言」と呼ばれることとなった「呼びかけ」です。その文章はたちまちドイツ語に翻訳されて当時発明されたばかりの「グーテンベルグの印刷機」で大量に印刷されてドイツ国内に瞬く間に広がりました。  その概要は当時の神聖ローマ帝国(ドイツ)内でローマ教会から盛んに頒布されていたいわゆる「免罪符」への疑問(罪の許しは教会から有料で与えられてよいものなのか)と「キリスト者の自由とは誰に担保されるのか」との二点に集約されていました。

 この文章と開かれた討論会がきっかけとなり、キリスト信者は「神とイエス・キリストのみに信頼と信仰を置かなければならない」 「人間はキリストを通して、神から罪の許しと平安と永遠の命とを享受できる」という、プロテスタントの根幹が確立していったのです。

教会や各会派(宗派)はその補助的な存在であり、聖職者や聖人はその補助や手助けをする存在にすぎない、というプロテスタントの基本的な価値観が確立したのです。  このローマ教会の神学的修練に基づく崇高な価値観と極めて世俗的現世的なな布教方法との両極端な施策に限界や疑問を感じていたヨーロッパ各国の人々の間に燎原の火ように広がっていきました。

 こうした事からプロテスタント教会は、一時的にはフランスでは6割を越え、ドイツでも7割近くがプロテスタントに代わりました。スイスに至っては8割を超えた人々がプロテスタントやルター派よりももっと先鋭的なピューリタン(清教徒)になってしまったのです。

 さてこうした事態はローマ教会やカソリック各会派も大きな衝撃与え、強い危機感が生まれました。 ローマ教会内部からも「宗教的腐敗」や「道義的な腐敗」を批判する勢力も生まれました。そうした中で1534年にフランスのパリ大学の哲学科(=神学科)の優秀な神学者たちで結成され、ローマ教皇に忠誠を誓いパトロンにポルトガル王国を選んだのが、イエズス会の6人のメンバーです。彼らは失われたローマ教会の失地回復を第一に「反プロテスタント」を鮮明に表したことから、彼らは「教皇の精鋭」とか「神の軍隊」と呼ばれるようになりました。  しかしこのイエズス会は、ヨーロッパ各地では一定の成果は上げられたものの最初の計画のような「プロテスタントからの失地奪還」はできませんでした。また資金難にも直面しました。 こうしたことから、イエズス会はその矛先をインドと中国に向けたのです。そのためにはパトロンであるポルトガル王国との関係を強化して、ポルトガル艦隊の庇護と支援を受けてインド各地を植民都市とすると同時に布教活動を展開したのです。 こうして帝国主義的植民地政策と布教活動を一体化したポルトガル王国とイエズス会とはインドのゴアを植民地化したのでした。 西暦1541年の出来事です。  イエズス会のインド・アジア進出の責任者があのフランシスコ・ザビエルでした。彼は初期のイエズス会のNo.2であり、当時のカソリック 世界でも傑出した知性と教養の持ち主でした。このザビエルがゴアに赴き陣頭指揮をとったことで、インドでの布教活動は成功したのです。それと同時に資金難からも解放されて中国や日本への布教活動ができるようになったのでした。  こうしことを考えると、ルターがドイツ国内で提唱した宗教改革が、ドミノ倒しのように世界を周り回って日本にはカソリックのなかでも「鉄壁の規律」と「深い教養」を武器としたイエズス会のザビエルが来るという結果につながったことに私たち日本人はもっと注目すべきです。 もし日本での布教活動を最初に行ったのがイエズス会ではなく、ザビエルの成功事例に触発されて後から遅れて日本に辿り着いたフランシスコ会が先であったとしたら、明晰な織田信長は日本での布教活動をイエズス会と同様な形で許したかどうか疑問です。  新大陸に着いた彼らは、春になると現地のインディアンからトウモロコシの種を譲り受け、その栽培方法を学んだのです。初代の米国清教徒たちは英国から持ち込んだ僅かな食糧とその後本国から到着する清教徒たちが持ち込んだ僅かな食料を互いに 分け合い、文字通り「糊口をしのぎながら」収穫の秋を迎えたのでした。たぶん、冒頭の聖句である詩編126編5節を繰り返し読み、祈り、助け合いながら。11月の第4木曜日、これがアメリカ合衆国での「収穫感謝祭」つまり「サンクスギビングディ」の始まりと言われます。

   キリストだけを見上げながら、冷静で情熱的で清廉で勤勉な態度は、プロテスタント、特にピューリタンと呼ばれた彼らの 生活態度や習慣の基本を形成していたのです。忘れられがちですが、アメリカ合衆国の基盤は本来はこうして作られていった のでした。

何故ならフランシスコ会の日本進出の目的は労働力である「奴隷の確保」にあったからです。また彼らは世界各地で既に宗教的倫理的なモラルハザードを引き起こしていました。比叡山の仏教勢力を、世俗的な「生臭坊主集団」と鋭く糾弾していた信長はフランシスコ会の中の腐敗の臭いをかぎ取った可能性があります。 ただイエズス会もフランシスコ会も植民地化とキリスト教化とを同時進行すると言う帝国主義国家と一体化した布教活動の本質には変わりありません。

 本来、一定の国家や政治勢力との相乗りで布教を行うという方法は本来のキリストの教えには存在しなかった方法です。 しかし歴史的な事実として、日本にはこのような形で「キリストの教え」が伝わりました。 そしてそのことが「関ヶ原の戦い」を招いたのです。イエズス会とポルトガルが日本に鉄砲を持ち込まなければあのように早く戦国時代は終わりませんでした。また1637年の「島原・天草の内乱」もああした形では起こらなかったことでしょう。

 こうして考えた時、1517年にマルチン・ルターがヴィッテンブルクの城壁に「95の論題」を張り出さなかったとしたら、私たち日本人の 生活は今とは全く違った形になっていたものと思われるのです。  蛇足ではありますが、現在の四ツ谷駅の脇に建つ瀟洒なカテドラルがあります。名前は「聖イグナチオ教会」。イエズス会の創設者であるイグナチウス・デ・ロヨラを祈念して建てられている教会です。上智大学(ソフィア)の敷地内にある教会です。   最後に、ルターの「95の論題」の前文の日本語訳を書いておきたいと思います。驚くほど簡潔明瞭な呼びかけの言葉です。 

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